日本語の乱れ

最近やたらと目にする、「いう」を「ゆう」と書くやつら。

これは現代仮名遣ひでも明らかに間違つてゐる。
それに「ゆう」は文字にして美しくない。何故間違へてゐることに気づかんのだ。


このやうな正しくない日本語を使ふ者は総じて馬鹿だ。大いに反省すべきだらう。


しかし、かういふ馬鹿が生じたのには現代仮名遣ひにも責任があるといひたい。


仮名の始まりは万葉仮名だ。
そこからひらがなになつたのであるが、その時は仮名と発音にずれは無かつた。

しかし、平安後期になり日本語が変化したことによつて仮名と発音にずれがでる様になつた。
(例へば、思fuと発音してゐたのが、思uと発音する様になつた。)


その時に決められたのである。仮名は表音(音を表す)より、表意(意味を表す)が優先されると。


故に戦時中までは単語の仮名は変へず発音のみ変化していくことが当たり前であつた。これが歴史的仮名遣ひであり、今も私は使つてゐる。

しかし戦後になつて現代仮名遣ひが使はれる様になつた。
現代仮名遣ひとは仮名のルールを変へ、発音通りの仮名を用ゐるものだ。表音が目的なのである。



しかしながら、現代仮名遣いは必ずしも表音文字ではなかつた。
例へばこんにちはの「は」はwaと発音するし、最初にいつた「いう」も発音でいへば「ゆう」なのである。
すなはち現代仮名遣ひとは全て表音ではなく、歴史的仮名遣ひの要素もかなりあるといふ、中途半端な代物なのである。

それなのに我々は表音だと教わつた。これが、「いう」を「ゆう」と書く愚か者共を生んだに違ひない。


これを読んだ諸君も出来ることなら歴史的仮名遣ひを使つて欲しい。
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